福井県里山里海湖研究所

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中村 亮
福井の「多様性」をさぐる:照葉樹林文化となれずし
 福井県は面積でみると小さな県であるが(約4190 km2で37/47位)、その中に、山間部、中山間部、平野部、台地、盆地、湿地、河川流域、淡水湖・汽水湖、海洋沿岸などの自然地理がつまっている。これらの多様な自然環境に適応した生活様式が、地域固有のなりわいや食、習俗、祭礼を育むことで、福井県の文化の多様性を生んでいる。
 
 この自然や文化の多様性は、一般的に「嶺北」と「嶺南」という言葉で類型化される。古くは越前国と若狭国から始まり、藩政の時代を経て明治14年(1881年)に福井県が誕生するまで、福井県の北部と南部が地理的にも政治的にも分かれていたことが、現在の嶺北と嶺南の文化的差異の原因の一つである。私は福井県に住んで一年余りだが、現地調査で各地を訪問した経験より、嶺北と嶺南の言葉や食、祭礼などの違いを実感できるようになってきた。

 そんな折、大学の講義で受けた「照葉樹林文化」と「ナラ林文化」の話を思い出した。これはごく簡単に言うと、照葉樹林(カシ、シイ、タブ、クス、ツバキなどの常緑広葉樹)とナラ林(ナラ、ブナ、クリ、カエデなどの落葉広葉樹)の分布地帯には、それぞれに共通する生活文化がある、というものである。照葉樹林文化圏は、ネパール・ヒマラヤの高地から中国華南を経て日本南西部につながる比較的温暖な地域である。一方、ナラ林文化圏は、北方の冷涼な地域である。

 二つの領域図をあらためてみてみると、照葉樹林文化とナラ林文化の境界は、嶺南と嶺北の境界と重なっているようである(図1)。嶺南=照葉樹林文化、嶺北=ナラ林文化と捉えてもよさそうだが、もう少し詳細に植生分布をみると、実際には福井県の沿岸部に照葉樹林が(三国の雄島は照葉樹林の島である)、嶺北を中心とした山地にナラ(ブナ)林が分布していることが分かる(図2)。いずれにせよ福井県は、照葉樹林文化とナラ林文化が共存する日本海側で唯一の場所であり、このことが、比類ない福井県の「多様性」に大きく影響してきたと考えられる。

 

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(図1)
東アジアの植生とナラ林文化・照葉樹林文化の領域(佐々木1993)

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(図2)
福井県の植生(福井県みどりのデータバンクより引用、福井県自然保護課作成)
*「緑色」の暖温帯自然植生が照葉樹を含むものである。現在では暖温帯自然植生は沿岸部にまばらに分布するだけだが、かつてはもっと広範囲(暖温帯代償植生の分布域にも重なるように)に分布していたと考えられる。
   
 照葉樹林文化の面白いところは、世界の照葉樹林分布地域に共通の文化要素を見出すことができ、さらに、日本文化の源流を探ることができるという点であろう。佐々木高明先生は、日本における照葉樹林文化の発展段階を、農耕以前の採集・半栽培、雑穀中心の焼畑農耕、水田稲作農耕の三段階に分け、各々の段階に対応する文化要素をあげている(佐々木1993)。ここで私が注目したのが、水田稲作農耕段階の文化要素の一つに「なれずし」があることである。

 なれずしは、水田でとれた淡水魚を保存する方法として開発された食品で、東南アジアを起源とし、稲作とともに日本に伝わってきたとされる(石毛ほか1990)。塩漬けした魚を米飯で漬け込んで成熟させた発酵食品である。発酵をうながす暖かい気候も照葉樹林帯の特徴である。「米」で漬け込むことより、水田地帯が発祥の地であり、水田で獲れる淡水魚を材料としていたという説もうなずける。しかし福井には、沿岸部で海水魚を材料とし、独自の発展を遂げたなれずしが存在する。それが、スローフードジャパンから食の世界遺産ともいわれる「味の箱舟」に認定されてもいる、内外海地区の「鯖のなれずし」である(写真)。

 
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(写真)森下さんのお宅でごちそうになった鯖のなれずし。大変おいしく写真を撮ることを忘れた結果最後の一切れだけが写っている。
(2015年1月14日、中村亮撮影)
   


 福井の食文化研究の一環として、田烏在住の森下佐彦さんに何度かお話をうかがった。森下さんたちは2006年に「さばへしこなれずしの会」を結成し、伝統的な鯖のなれずしの製法を守り伝える活動を行っている。廃校となった田烏小学校を再利用して、毎年、子供たちに鯖のなれずしの作り方を教えている(「さとけん日記」の平成26年11月27-28日掲載)。

 田烏の鯖のなれずしの製法については何度も新聞やテレビに取り上げられているので割愛するが(詳細は「たがらす我袖倶楽部ホームページ」を参照してください)、一番の特徴は、他地域のなれずし(琵琶湖の鮒ずし、奥能登のなれずし、和歌山の鯖なれずしなど)が塩蔵魚を材料とするのに対し、田烏のものは、鯖のへしこ(糠漬け)を材料とする点である。気出し(塩抜き)したへしこを米飯(若干麹を混ぜる)で漬ける期間は二週間ほどである。長期間(三ヵ月~三年)飯漬けする鮒ずしとは違い、鯖のなれずしでは米が原型をとどめており、鯖と一緒に米も食べることができる。年末年始や春のお祭りに好んで食されるハレの食事である。

 鯖のなれずしは、米、糠、麹を必要とする、水田農耕に深く関係した食品である。しかし、田烏のような農地面積の少ない沿岸部で、どのようにして米を得ていたのであろうか?そのあたりのことを森下さんに聞くと、昔は、海産物と農作物を交換する地域間の関係があったという。森下さんも子供の頃に、ひと山越えた旧上中の農村に魚を担いで行って、米や野菜と交換していた。毎回訪問するなじみの農家があり、そのようなところは「わらじぬぎ」と呼ばれた。かつては、地域の特産物を交換する、漁村と農村の親密な交流があったのである。

 私は、鯖のなれずしは、このような漁村と農村の交流によって生まれた食品ではなかったろうか、と考えるに至ったが、その真相は定かではない。しかし、海産物、特に若狭湾沿岸では「鯖」が地域経済を支え、地域間交流を担った商品であったことは確かである。巾着網の発祥の地である田烏からもたくさんの鯖が街道をつうじて京へ運ばれたことであろう。先に、照葉樹林文化とナラ林文化が共存していることが福井の多様性に寄与してきたと書いたが、もう一つ、他地域との歴史的な交流も、福井の文化を豊かにしてきた要因であるということを鯖のなれずしから学んだ。


参考文献
石川県2007『奥能登のなれずし 調査報告』石川県水産総合センター.
石毛直道・ケネス ラドル1990『魚醤とナレズシの研究:モンスーン・アジアの食文化』岩波書店.
上山春平1969『照葉樹林文化:日本文化の深層』中公新書.
佐々木高明1993『日本の基層文化を探る:ナラ林文化と照葉樹林文化』NHKブックス.

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