二十四節気・七十二候とは?

二十四節気・七十二候とは?

 最初に生まれた暦である「太陰暦」は、暦の日付と季節が少しずれていました。そのずれをなくすために、昔の中国で「二十四節気」が考え出され、日本に伝わりました。
 「二十四節気」は、太陽の動きに合わせて一年を24等分し、季節の変化をその期間に見られる生き物の様子や天候などで表したものです。
 季節の目安となる二十四節気は、農作業や毎日の暮らしに欠かせないもので、より細かく季節の移り変わりをつかむために、二十四節気のそれぞれの期間を、3等分して表す「七十二候」も作られました。

 さらに日本では、二十四節気に加え、「八十八夜」や「入梅」「二百十日」など、農作業の目安としていた「雑節」を取り入れました。
 なお、二十四節気の日付は毎年同じではなく、国立天文台の観測結果をもとに決められています。

 今は太陽暦を使い、気候のちがいによって四季を分けています。しかし、その四季と二十四節気による四季には、少しずれがあります。二十四節気では、2月4日ごろの立春から春が始まるため、季節が少しずれることになります。

二十四節気

旧暦と新暦の違い

 今、私たちは新暦(太陽暦)を使って生活していますが、長い間旧暦(太陰太陽暦)を使っていました。日本では1872年の旧暦12月3日を、1873年の1月1日として、旧暦から新暦に暦を変えたため、旧暦と新暦にはおよそ1か月の違いがあります。ひな祭りや端午の節句などの昔から伝わる行事には、今でも旧暦に合わせて行われるものも多くあります。

太陰暦

 最初に生まれた暦は、「太陰暦」だと考えられています。太陰暦は、月が地球の周りを一周する時間を1か月としていました。
 太陰暦では、新月から次の新月の前日までが1か月になります。月はおよそ29日半で地球を一周するため、太陰暦では1か月が30日の大の月と29日の小の月で、12か月を分けていました。しかし、現在の太陽暦の一年と比べると、一年の日数が11日ずつ短くなるため、毎年少しずつ暦の日付と季節がずれてしまっていたのです。こうしたずれを放っておくと、夏に正月がくるというおかしなことが起きてしまいます。

太陰太陽暦(旧暦)

 暦の日付と季節を合わせるために、考え出されたのが、「太陰太陽暦」、今でいう旧暦です。7世紀ごろから日本で採用されて、明治時代の1872年まで使われていました。
 旧暦では、何年かに一度「うるう月」をもうけ、その年は一年を13か月としました。四季のある日本では、およそ19年に7回、うるう月を入れることで、暦の日付と季節のずれを調整していました。

太陽暦(新暦)

 旧暦で、季節との大きなずれはなくなりましたが、少しのずれは起きていました。そこで、日本では1873年から、現在使っている新暦が採用されるようになりました。新暦は「グレゴリオ暦」(太陽暦)という世界共通の暦で、地球が太陽の周りを一周する時間を一年と定めています。太陽の動きをもとにしているため、暦の日付と季節がずれることはありません。


福井県里山里海湖研究所

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