日本列島において、継続的に人間の手が入る森林が出現した時期は、少なくとも縄文時代までは遡ることが出来る。三内丸山遺跡の研究によって、この遺跡に起居していた縄文人集団が近隣の森に栽培種のクリやウルシを植えて利用していたことが明らかとなっている。
しかし歴史時代に入るとともに日本列島の里山は乱伐と保護を繰り返していくこととなる。最初に里山のオーバーユースによる森林破壊が顕在化したのは畿内であり、日本書紀によると、天武天皇の6年(676年)には南淵山、細川山などで木を伐採することを禁じる勅令が出されている。
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