福井県里山里海湖研究所

文字サイズ: 小 中 大  
2016年04月のコラム
  • 北川淳子
     3月13日(日)に若狭町で三方五湖の、3月21日(月)にあわら市で北潟湖の研究調査成果の報告会を開きました。地元の方たちに熱心に聞いていただき、また、質問もたくさんいただきました。報告の内容を簡単にまとめておきます。
    CIMG5132.JPG

    写真1 三方青年の家での研究報告会


    三方五湖
     まず、現在の三方五湖の水質、湖底の堆積物の状況についての発表がありました。現在、三方湖、水月湖、菅湖、久々子湖は汽水、日向湖は海水と言われています。三方湖、水月湖、菅湖、久々子湖では、春と夏の終わりの水質が大きく異なり、海からの水が夏には三方湖あたりまでやってきます。冬には海水が三方湖まで流入することがなく、季節ごとに塩分濃度が異なっています。そして、菅湖と日向湖の湖底には酸素がなく、硫化水素が作られ臭い堆積物がたまっています。この状況がいつ成立したかは、堆積物の地質化学的研究からわかってきました。現在の状況が形成されたのはどうも江戸時代の日向水道と浦見川の開削の時のようです。それまでも変化はありましたが、これらの土木工事は三方五湖の水環境に大きな影響を与え、水の流れも変化させたようです。
     大きな災害も過去にたびたび起こったようです。堆積物の分析から、日向湖では西暦300年、西暦500年と西暦1000年に、菅湖では西暦500年に大洪水が起こったことがわかってきました。中でも西暦500年の洪水は規模が相当大きかった可能性があります。
    flood.JPG

    写真2 菅湖、日向湖の洪水堆積物


     周辺の植生も人間活動によって大きく変化してきています。人間活動が入る前はスギやシイ、カシの木が生え、周辺は暗い深い森に覆われていたようです。それが、古墳時代から弥生時代に塩づくりが始まると伐採されていきます。しかし、この活動はさほど大きくなかったようです。平安時代、荘園開発が始まると平野部の森は一気に伐採され、水田に変化していきました。さらに江戸時代、土木工事の影響で荒地が増えたのか、そこにマツが侵入してきたようです。マツの生える景観は江戸時代に形成されました。周辺のコンクリート護岸化も植生に大きな影響を与えました。
     最近、問題になっているヒシですが、水月湖の分析では、近年になるとヒシの花粉が見られなくなってしまっています。ヒシの花粉ができるころの三方湖からの水流が変化したのか、もともと三方湖からヒシの花粉は水月湖に流れていかなくて、水月湖周辺にヒシの生育できる環境があったのか、原因は不明です。

    suigetsu.JPG
    写真3 水月湖堆積物で観察された花粉



    北潟湖
     まず、2014年12月に採取した北潟湖5地点の湖底堆積物コアの特徴、入っている火山灰、洪水堆積物について報告がありました。堆積物は均質で、洪水や地震などで大きく乱された層はありませんでした。しかし、火山灰が何層か入っていて、ほとんどは周辺から洪水で流されてきたと考えられます。洪水も、大きなものはなかったという話で、聴講者の方から、北潟湖周辺では川が氾濫するような洪水はないという指摘がありました。最近も、過去にも、川が氾濫するような洪水はなかったようです。
    tephra.JPG 
    写真4 北潟湖の堆積物と火山ガラス


     そして、堆積物の各深度での含水量と粒子サイズの分析や、堆積物の化学的分析で、各層の特徴を明らかにし、3本の堆積物について同じ年代の層を特定しました。これは時代ごとに比較する上で重要であり、各堆積物コアの年代決定の鍵となります。そして、堆積物の特徴や、海にしか存在しないカバザクラという貝が発見されたことで、過去に津波がやってきた可能性を指摘しました。

    Kabazakura.JPG 
    写真5 北潟湖堆積物からでてきた貝、カバザクラ


     周辺の植生の変遷についての報告では、周辺の地理的環境と5本の異なる場所のコアの分析がなぜ必要になってくるか、という理由を説明しました。分析が必要な理由は、地形や人間活動の度合いによって、地域で入ってくる花粉の割合が違ってくるからです。
     そして、人間活動が少なかった山に囲まれた5番目に採取した堆積物の花粉分析の結果を報告しました。人間活動の少ない古代にはシイやカシの深い森に覆われていましたが、人間が山を利用し始め、里山を形成しだすと、森がなくなっていきます。里山の風景は古代のように森に覆われておらず、植物のない寂しい風景ではないか、という考察がなされました。人間活動の活発であった平野に近い地域の堆積物コア(1番目)と比較すると、人間活動が活発になる以前はどちらも照葉樹林の森に覆われましたが、人間活動が入ると、まず、平野部の森が切り開かれます。塩づくりのため森林の大伐採があったようです。12世紀には、平野部の伐採跡に水田が作られていきますが、山の方ではあまり変化がありません。13世紀ごろになると、山に囲まれた5番目のほうでも樹木の花粉が減少し、森林伐採が行われた痕跡が認められます。同時にソバの花粉が増加し、ソバ畑をつくるために森林伐採が行われたようです。
    Kitagata.JPG
     写真6 北潟湖堆積物で観察された花粉


    まだまだ、分析は途中です。今後の分析結果に期待してください。

福井県里山里海湖研究所

福井県里山里海湖研究所

〒919-1331 福井県三方上中郡若狭町鳥浜122-12-1

電話:0770-45-3580(受付:8時30分~17時15分[土日祝・年末年始を除く])

FAX:0770-45-3680 Mail:satoyama@pref.fukui.lg.jp

このページの先頭へ

Copyright ©2015 - 2024 Fukui Prefectural Satoyama-Satoumi Research Institute. all rights reserved.