福井県里山里海湖研究所

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北川淳子
思ったようにならないのが堆積物の年代測定-長すぎる縄文と埋まる湖-
 12月に北潟湖、3月と4月に三方五湖でボーリング調査をしましたが、年代測定の結果が出てきました。何年とでるかわからないので、とりあえず、できるだけ深いところのサンプルの年代測定を依頼しました。三方五湖周辺では、狙いは縄文時代。1970年に三方湖のほとりの田井地区から発見された田井野貝塚(図1)の時代をまずはターゲットに分析を始めようと、その時代の土器片にこびりついた炭化物も同時に分析を依頼しました。その遺跡の時代は、土器編年によると、縄文早期から前期と若狭三方縄文博物館の小島学芸員が話していました。
 
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図1 田井野遺跡の位置(赤い○)  


 三方湖は山に囲まれていますが、三方湖側は風が強いせいか、他の時代には居住の痕跡がないそうです。田井野貝塚の時代には、それまで居住していた場所がどうも土砂災害で埋まり、人々が田井野に移り住んだようです。
 私の花粉分析で何がわかるかですが、私も実はまだよくわかっていません。あちこちでがけ崩れが起こっていれば、そういうところでも生えてくる植物が多くなるのでは、と考えていますが、それがわかるほどその種類の花粉が出現するかどうか今のところ不明。希望的観測でわかるはずと思っています。さて、何が出るかはお楽しみなのですが、その時代のサンプルが採取できたかどうかが問題です。

 三方湖については東京大学の吉田先生との共同研究で、東大からお金を出してもらい、ポーランドのポツナンの研究所に依頼していました。結果がやってきました。年代は・・・、土器はしっかり縄文前期。縄文博物館の小島さんが喜んでいました。しかし、残念ながら、私のサンプルは1000年ほど届きません。なにせ手掘りで、三方湖の堆積物、硬くて、若狭高校の生徒さんたちが頑張ってくれましたが、あれ以上掘れませんでした。いや、しかし、それでも縄文です。結果は縄文中期。当初、縄文まで掘れれば、などと言っていたので、成功は成功ですが、縄文時代が長すぎます。これが問題です。手掘りでできないので、仕方がない。ということで、大昔、1991年に安田喜憲教授のグループが採取したサンプルが縄文博に保存されていて、それを利用し、田井野遺跡の時代を再分析してみることにしました。もちろん、春に採取したサンプルも分析します。

 三方湖とは別に、日向湖、菅湖、久々子湖、北潟湖の測定を依頼し、そちらの結果もでてきました。日向湖ですが、以前に原子力規制庁が調査した中の年代をみて、7000年前ぐらいまでいくかな、と思ったら、3000年前弱でした。何かだまされた気分ですが、年代測定結果は結果です。他もそれなりの年代がでています。菅湖は深度3mぐらいで6000年でしたので、三方五湖は過去2000~3000年ほどは地域的な違いが比較でき、水月湖の2014年のサンプルと三方湖の昔のサンプルで鳥浜の時代からの人間活動が復元できそうです。

 問題は北潟湖。製塩遺跡がでているので、その時代前後が復元できると面白いと思ったんですが、あそこはどうなっているのか、3mで鎌倉時代になってしまいました。この結果はまだ古い時代まで遡ったコアで、他は、2~3mで江戸時代。製塩の遺跡の時代が復元できません。とても残念です。すさまじいスピードで埋まっています。100年後には湖がなくなるかもしれません。まだ年代測定していないコアがあるので、そちらも測定しようと考えています。
 
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写真1 田井野遺跡から出土した土器片(写真は若狭三方縄文博物館提供)。食べ物の残りが炭になって付着している。  写真2 日向湖の堆積物。上部のみ、年縞が認められる。

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