福井県里山里海湖研究所

文字サイズ: 小 中 大  
北川淳子
三方五湖・北潟湖研究報告会
 3月12日(日)に若狭町で三方五湖の、3月26日(日)にあわら市で北潟湖の研究調査成果の報告会を開きました。北潟湖の報告会ではことのほか多くの方が参加され、大変活発な発言をいただきました。発表の内容を簡単にまとめておきます。

三方五湖
 東京大学の鈴木氏(3月に博士号を取得し、現在、早稲田大学の助手)は「歴史記録を超える気象台:水月湖年縞刻まれた洪水災害史の解読」との題で発表してもらいました。水月湖の年縞堆積物の洪水記録と気象台などの観測記録を対比して、水月湖の年縞堆積物は正確に洪水を記録して、洪水層の厚さは雨量に比例しているという事を紹介されました。そのことにより、歴史記録にない時代まで遡って三方五湖周辺の洪水の状況についてわかってきそうです。
 島根大学の瀬戸氏は「日向湖における古環境変遷史と過去200年の降水履歴の復元」という題で報告してもらいました。現在の状況から過去に遡って、丁寧に説明していただきました。現在の状況は水温・塩分・濁度・溶存酸素量といった水質調査を行った結果を紹介してもらいました。図示されていて、大変わかりやすいものでした。日向湖の歴史記録では1638年に日向水道が開削されたことで海水になったというはなしでしたが、それ以前から海水湖になっていたということでした。日向湖にも年縞堆積物はあるのですが、水月湖のように何万年も連続はしていません。しかし、上のほうの(最近の)部分ははっきりとした年縞になっていて、江戸時代までカウントしたそうです。三方五湖周辺の降水の特色として、冬の雪による降水と梅雨期と台風期が特異的に多くなります。年縞を詳しくみると、梅雨期と台風期の1年に2回の堆積物を記録している可能性が高いそうです。
 北川は「日向湖の堆積物に残る大水害の痕跡とその植物への影響」というテーマで報告しました。まず、三方五湖周辺ということで、日向湖の分析でなく、三方湖のほうの鳥浜貝塚の終焉について話をしました。鳥浜の終わりの時代も今と同じように気温が高く、降水量が多いので、土砂災害が多く発生し、それを避けて縄文人は活動していたことを紹介しました。そして、昨年度、立命館大学の篠塚氏の発表に、西暦300年、西暦500年と西暦1000年に、菅湖では西暦500年に大洪水が起こったとありましたが、日向湖のほうの洪水のあたりの層を詳細に花粉分析をして、洪水の植物への影響をみてみました。年代は、追加で年代測定したことで昨年度より正確にわかってきて、3世紀半ば、8世紀半ば、15世紀前半となります。水月湖の年縞堆積物にもそれらの洪水が見られます。詳細に花粉分析をすると、3世紀半ばと8世紀半ばの洪水層では、周辺の森が破壊され、その回復に40-50年かかっています。15世紀前半のものでは、低地部は水田であったせいか、森林が大破壊されるという形ではないようです。
IMG_6797.JPG IMG_6807.JPG
水月湖の水害について話し始める鈴木氏 熱心に耳を傾ける聴講者


北潟湖
 島根大学の瀬戸氏は「北潟湖の水質・底質環境の特徴」という題で、8月と1月の北潟湖の水質調査の結果について発表していただきました。北潟湖は湖が橋のところで区切れていて、環境が橋を通過するごとに大きく変化するそうです。レンコンのようだと発表されていました。夏の調査の時、橋を超えるたびに水の色が変化していました。生物生産性では、一番奥側の西南湖は,もっとも生産性が高く,水の流れが悪いそうです。底は夏は温度が低く、酸素がなく、塩分濃度が高いようです。酸素がないため、硫化水素が発生し、真っ黒の泥がたまっています。底にシジミがたくさんいるのですが、大きな個体がほとんどで、シジミの再生産がされているかは不明だそうです。
 立命館大学の篠塚氏は「北潟湖における過去数千年間の古環境変遷史」という題で、堆積物の化学的分析をし、北潟湖の過去の水質変遷を紹介しました。北潟湖では開田橋ができるまで、古くからカキの養殖がされていて、堆積物の中にカキの密集した層が見つかったことは以前に紹介しています。そのカキの層ができた時代は湖が貧酸素であったという結果がでました。貧酸素のためカキが大量に死んだようです。また、北潟湖は汽水湖なのですが、西暦1000年ごろのみ、一時的に湖は淡水化しているようです。後で他の先生方と一緒に話をしていたら、ひょっとすると、湖から海へでる部分が季節風で砂が運ばれふさがれたのではないかという話がでてきました。季節風で砂が運ばれふさがれるのであれば、それは昔から起こっていてもおかしくない話で、その時期だけふさがれるのは変な話です。もう少し年代をはっきり決めないといけないのですが、1000年ごろというと、荘園開発の時代で、水田開発するのに淡水化するのがよくて、毎年、湖と海の間の砂を取り除いていたのを、意図的にやめたのではと勝手に想像しています。
  金沢大学の長谷部氏は「北潟湖の汽水-淡水変化と津波災害の痕跡」という題で発表していただきました。日本海側でも歴史的にみると少なくない地震や津波がやってきています。北潟湖では津波がやってきたのか、堆積物の粒子の粗さや堆積している貝、そして、珪藻(ガラス質の殻をもったプランクトン)の分析で規模はわからないけれど、津波が入ってきた可能性があることを紹介しました。堆積物の粒子の粗さでは津波が入ってきたのでは?という5つの層があり、その層では海の珪藻がたくさん見られたという事です。北潟湖にも津波が入ってくる可能性があります。また、1300年ごろから海水が北潟湖の中心部まで入ってきているという結果が出ていました。1300年頃というと、小氷期と言われる寒い時代に入る時代です。海水準はそれ以前の平安時代の方が高く、この時代は低くなります。海水がこの時期から入るのはおかしな話です。それで、何か人為的に海水をいれたのでは?という話でした。室町時代の後期からカキの養殖をしているという事ですが、それと関わりがあるかもしれません。
 私、北川は「津波?高潮?:北潟湖周辺一時的景観の変化」という題で花粉分析の結果を報告しました。塩づくりで森林がなくなっていき、1100年頃、水田が広がっていく、というのは昨年の話と同じです。しかし、一番海側の堆積物の分析も追加して、海側は江戸時代以前はシダ植物しかないようなはげ山だったという事がわかってきました。それらの結果をよく見ると、何か起こっている痕跡が認められます。まず、天正の地震(1586年)の時の津波の痕跡でないかという変化が花粉で見られました。このぐらいの時代の層の分析では、花粉が全体的に減少するのですが、マツ花粉は減りません。なぜマツのみ減らないのかは不明ですが、周辺の植物が何かで少なくなったのは確かです。また、福井県側ではありませんが、石川県加賀で1712年に農民一揆が起こった記録があります。理由は、塩害や大風で不作が続き、年貢の減免を求めた、というものですが、塩害の痕跡が見つかりました。アカザ科の植物の花粉が増える層があります。アカザ科ですが、このグループの植物は乾燥や塩に強く、海岸沿いでよく見かけられます。その層のみ驚くほど多くのアカザ科の花粉が数えられました。明らかに塩害があったようです。しかし、それも何年も続きません。1年、2年で一揆が起こるほど困窮するとは思えないので、おそらく、その時代、多くの災害に見舞われ、不作が続いたのでしょう。
IMG_6919.JPG IMG_6920.JPG
北潟湖の報告会にはたくさんの人に来ていただきました 北潟湖の水質について話をする瀬戸氏

福井県里山里海湖研究所

福井県里山里海湖研究所

〒919-1331 福井県三方上中郡若狭町鳥浜122-31-1

電話:0770-45-3580(受付:8時30分~17時15分[年末年始を除く])

FAX:0770-45-3680 Mail:satoyama@pref.fukui.lg.jp

このページの先頭へ

Copyright ©2015 - 2018 Fukui Prefectural Satoyama-Satoumi Research Institute. all rights reserved.